Globisculus 

英語タイトル:Global Dialogue in Your Pocket

日本語タイトル:翻訳アプリがつなぐ世界との対話 

  

言葉には、世界の形が宿っています。   

だからこそ、このページのタイトルを、3つの言葉で記しました。 

 

- Globisculus:ラテン語の響きは、古代から続く知と探究の象徴。   

- Global Dialogue in Your Pocket:英語は現在、世界人口の約17%以上が母国語・第二言語として用いられている国際共通語(リンガ・フランカ)。
- ポケットの中の小さな地球で、対話が始まる:日本語は、私のアイデンティティであり、一番流暢に会話する事が出来る言語です。

 

そして、異なる言語を並べる事で、読む人の感性と言語環境に“複数の入口”を創りたいと考えました。   

それは、翻訳アプリが提供する「対話の可能性」にも似ています。   

誰もが異なる背景を持っている。けれど、言葉は“つながる道”になる。   

   


世界はひとつの言語では届ききれません 🌍
翻訳アプリを使って、あなたのリズムでこのページを読んでください🤝 

母国語は世界との最初の挨拶になる  

日本語という「母国語」から始まる物語 

 

日本語は、この場所から出発する、私自身の言葉でありアイデンティティ。 

そして、私にとっては“母国”から世界へとつながる、文化と思考の架け橋。   

このページでは、日本語という感性を起点に、翻訳アプリの歩みと“言葉の届き方”について考えてみたいのです。   

  

あえて日本語で書く事の意味 

“日本語が伝わる範囲だけでいい”ではなく、   

“日本語から、伝えるための問いを始めたい”という選択。 

  

言葉は“機能”ではなく“文化と共にある感性”である事 

このページには“日本人としてのまなざし”がある事 

皆様には、余白のあるメッセージが、自然に伝わってくれる事を期待してます✨ 

  

グローバルに開きながら、しっかり“私”の文化で語る。   

それは、まさに「感性教育 × 翻訳アプリ」が目指す未来像でもあります。    

母国語が、世界との最初の挨拶になる。 

それはとても優しくて、たくましい出発点です💛 

 

世界と話すために、私は母国語・日本語で考える。 

それは、日本人らしい、しなやかなグローバルスタイルであるとも考えます🌍 

 「翻訳する」事が、あなたと世界との優しい握手になりますように 🤝 

英語タイトル

When Stars Speak Across Languages  

日本語タイトル

翻訳を越えて、願いは届く 

サブタイトル

日本文化を海外に伝える為の“感性の翻訳” 



🌍 このページは日本語で構成されています。 

お手元の翻訳アプリ(Google翻訳、DeepL、Papagoなど)を活用して、   

あなたの言葉で、日本の文化を“感じて”みてください。   

翻訳が追いつかないところに、きっとあなたの感性が届いてくれます。 

  


「翻訳アプリの解説」ではなく、
「日本(中国)の文化・七夕」

  

七夕は、ただの「星の祭り」ではありません。   

それは、天の川をはさんで離れてしまったふたりが、   

たった一夜、空を渡って再会するという物語です。 

  

言葉では伝えきれない願いや、時の流れの切なさ。 

そうした“余白”があるからこそ、「ストーリーテリングが文化を運んでくれる」のです。 

  

「違い」ではなく
「気持ちの似ているところ」を探す
 

  

お辞儀と握手。   

形は違っても、その背景にあるのは「あなたを大切に思っています」という気持ち。   

文化の違いを強調するのではなく、“心の似ている場所”を見つける事が、感性の翻訳の第一歩です。 


  

音や映像で“言葉の外側”を伝える 

  

風に揺れる笹の音。   

夜空を見上げるときの静けさ。   

短冊に願いを書く手のぬくもり。 

  

目には見えなくても感じられるものを、映像や音で届ける。 

そこに言葉は必要ないかもしれません。 


  

翻訳アプリを“共感の橋”にする 

  

翻訳アプリは、“意味”を届けるツール。   

でも、それだけではなく、“気持ち”をつなぐ橋にもなれるはずです。 

  

Globisculusでは、そんな橋をたくさん架けたいと思っています。   

言葉たちの祈りを、世界中に運んでください🌌 

序章

「七夕」は、翻訳が難しい。   


「星の祭り」と訳せば、何かがこぼれ落ちる。   

でも、だからこそ、翻訳アプリを通して“感じて”ほしい。   

 

言葉の向こうにある、祈りの形。     

Globisculusは、七夕という物語を通して、   

翻訳アプリが“共感の橋”になる瞬間を描いてみたいと思いました。 


 

 🌠七夕を題材にした理由(Globisculus的視点) 

  

1. 翻訳アプリでは伝えきれない“感性”があるから  

 七夕は「星の祭り(Star Festival)」と訳されますが、そこに込められた「祈り・再会・静けさ・切なさ」といった感情は、直訳では届きません。   

 だからこそ、翻訳アプリの限界と可能性を体験できる題材として最適であると考えました。 

  

2. 「言葉を超えて伝える」という構造が、翻訳アプリと重なるから 

 織姫と彦星は、年に一度しか会えません。   

 でも、たった一夜の再会に、すべてを託す。   

 これは、言語が違っても「伝えたい」と願う人の姿と重なります。   

 翻訳アプリは、まさにその“天の川”を渡る橋なのです。 

  

3. 日本文化の中でも“感性”が際立つ行事だから 

 七夕は、音も光も控えめな、静かな祈りの行事。   

 短冊に願いを書くという行為は、非言語的な自己表現であり、   

 Globisculusが目指す「感性の翻訳」の象徴でもあります。 

  

七夕はただの “Star Festival” ではありません。   
これは、星と星の間に生まれた恋と再会の物語。   
翻訳アプリで読みながら、言葉を越えた願いに耳を澄ませてみてください。 

  


🎋 七夕物語 

― ひとつの恋が、星になった夜のお話 

  

むかしむかし、天の国に「織姫(おりひめ)」という娘がおりました。   

織姫は機(はた)織りの名手で、朝も夜も、光る布を織り続けていました。   

その布は、空の神々の衣となるほど、美しく尊いものでした。 

  

けれど、織姫はあまりに働きすぎて、笑う事も、遊ぶ事も忘れてしまったのです。   

それを見かねた天の神は、娘に一人の婿を与えようと考えました。 

  

そしてめぐり逢ったのが「彦星(ひこぼし)」――   

天の牧場で牛を飼う青年で、心優しく、真面目でよく働く若者でした。 

  

二人は出逢ったその日から互いを想い合い、やがて結ばれました。   

けれど、幸せに夢中になるあまり、織姫は機を織らず、彦星は牛の世話を怠るように…。 

  

怒った天の神は、二人を天の川の東西に引き離し、逢う事を禁じたのです。   

空の端から端へと広がる天の川――それは二人を分かつ「言葉の海」のようでした。 

  

織姫は泣きながら機に向かい、彦星も牛たちのそばを離れず働きました。   

二人は離れても、「また会える日」を信じて努力を続けたのです。 

  

その姿に心を動かされた天の神は、   

「二人が真面目に務めるならば、年に一度、七月七日の夜にだけ逢わせよう」   

と、約束をくださいました。 

  

そして、その日が来ると、カササギたちは空を飛び、   

二人の為に、天の川に羽の橋をかけると言われています。 

  

織姫と彦星が再び出逢う、たった一夜だけの奇跡。 

今でも人々は、その夜に願い事を書き、笹に結びます。   

言葉ではなく、想いが届くことを信じて――。 

🌌 七夕の起源と日本での展開 

 

七夕(たなばた)は日本の伝統的な年中行事ですが、ルーツをたどると中国の「乞巧奠(きこうでん)」という行事に由来しています。 

つまり、中国から伝来した文化が、日本独自の感性と融合して発展した慣習なんです。 

 

💫中国の伝説:「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」が年に一度、天の川を渡って逢うという物語が起源。 

💫乞巧奠(きこうでん):織姫にあやかって、裁縫や芸事の上達を願う行事。旧暦7月7日に行われていました。 

🗾日本への伝来:奈良時代に宮中行事として取り入れられ、やがて庶民の間にも広がりました。 

🗾日本の神事「棚機(たなばた)」との融合:乙女が神に捧げる布を織る禊の儀式と、中国の星伝説が結びつき、「七夕(たなばた)」という読み方が定着しました。 

  

 

🎋 現代の七夕の特徴(日本独自の発展) 

  

🌟短冊に願いを書く:五色の短冊に願いごとを書く風習は、日本独自のものです(中国では五色の糸を吊るします)。 

🌟笹飾り:笹に飾りを吊るすのも日本特有のスタイル。江戸時代には屋上に立てる風習もありました。 

🌟地域ごとの七夕まつり:仙台・平塚・一宮などでは、戦後の復興や商業振興と結びつき、華やかな七夕祭りが開催されています。 

  

「感性の翻訳」や「文化の交差点」に関心をお持ちの方にとって、七夕はまさに“異文化が共鳴して生まれた感性の祝祭”とも言えます️。 

  

どんな願いを短冊に込めましょうか?  

そして、翻訳アプリは、ただの便利な道具ではありません。   
それは、「言葉の海を渡る為の架け橋」かもしれません。   
   
七夕の夜、織姫と彦星が天の川を越えて出逢うように
  
このサイトをご覧頂いている皆様も、翻訳アプリを通して、
あなたの願いに近づく事が出来ますように💫💫 

本章

🌍 Globisculusの感性と
言語の星座地図 

アジア諸国の文化 × 感性の翻訳装置 × グローバル・コミュニケーション  



あなたのスマートフォンにある翻訳アプリは、   

実はただの“言語変換ツール”ではありません。   

   

それは、「アジアの物語を旅する鍵」であり、   

言葉の奥に眠る「世界の文化の遺伝子」に触れるための窓なのです。   

   

そして、その先にあるのは、誰かと“感じあう”という奇跡。   

言葉を訳す事で、ふと、心が触れあう瞬間が生まれるかもしれません。   

翻訳された先に残る“余白”こそ、私達が共に旅する感性の入り口なのです。 

第一章
多言語翻訳アプリでめぐる、
アジアの文化と言語   

Exploring Asian Cultures and Languages through Multilingual Translation Apps. 



「翻訳とは、ただ“言葉を変える”事なのでしょうか?」     

いいえ。翻訳とは、“言葉をきっかけに文化を旅する事”だと考えています。  

   

あなたが毎日手にしている翻訳アプリ。   

誰でも使える、手のひらサイズの便利なツール。    

でも、その小さな画面の向こうには、無数の祝祭、想い、記憶、所作――    

つまり、文化の深層を旅する入口が、そっと開いているのです。  

それは単なる“言葉の辞書”ではありません。   

今や、世界を旅するための“入口”として、静かに可能性を開きつつあります。 

  

例えば、中国の「中秋節」は、家族と月を囲む団らんの夜。   

韓国の「秋夕(チュソク)」は、祖先に感謝を捧げる日。   

ベトナムでは「星灯り祭り」で子ども達がランタンを掲げ、   

ネパールの「ティハール」は、光と祈りを交わす5日間の祝祭です。 

それらの文化は、言葉によって支えられています。   

そして、その“言葉”を介してこそ、私達は文化の意味や雰囲気、空気感を感じ取る事が出来ます。 

  

翻訳アプリを使えば、難しい言語でも概要はわかります。   

でも、それだけでは伝わらないものもあります。   

例えば、“お辞儀”や“贈り物の包み方”、“沈黙”の意味。   

そういった微細な“感性”の層は、単語や文章に置きかえただけでは、なかなか伝わらないのです。 

  

そこで、「翻訳アプリを単なる“多言語の変換ツール”」としてだけではなく、「“多文化の感性の翻訳装置”としても活用出来ないか? 」

そんな問いが浮かびました。 

  

ポイントは3つあります。  

1. 「翻訳」ではなく、「物語」として文化を伝える事  

例えば、「七夕」は“Star Festival”ではなく「年に一度、天の川を越えて恋人たちが会う夜」として伝える。 

2. “比較”ではなく、“共鳴”を探す事  

例えば、「お辞儀」も「握手」も、「私はあなたを大切に思っています」という行為である事。 

3. 翻訳アプリは、言葉の意味だけでなく、文化を旅する“窓”になれるという事。 

  

この提案に対しては、「そんな抽象的な事、アプリでは不可能ではないか。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。   

しかし、短い言葉に含まれる“想い”や“背景”を知ってから読むと、同じ言葉でも感じ方が変わった、そんな経験はありませんか? 

 

言語が違っても、そこに込められた「願い」や「敬意」は不思議と通じ合います。 

翻訳アプリでそれらの行事や願い、敬意を“読む”時、それは、単に情報を得ているのではありません。    

他者の文化の息づかいに、そっと手を添えているのだと思うのです。  

   

例えば、訳語が完全でなかったとしても、問題ではないのです。    

大事なのは、その先にある「何かを感じとろうとする気持ち」。    

そうした瞬間にこそ、「翻訳アプリを“共感の装置”に進化させるヒントがある」と考えています。 

アジアには、様々な言語と文化、そして数えきれない“言葉の呼吸”があります。 

翻訳アプリを使えば、そのひとつひとつに、優しく触れる入口がある事に気づくはずです。 

  

そして、Globisculusは提案します。    

翻訳アプリを“多言語翻訳機能”や“音声認識機能”として活用する事はもちろんですが、もっと“創造的”に使ってみる事。
旅行だけではなく、日常生活の中においても、多文化を理解する機会がもっと増えるのではないでしょうか?  

翻訳アプリで読み解く文化の物語。    

そのひとつひとつが、「世界との対話の始まり」になるのです。  

第二章
翻訳アプリがつなぐ、
言葉と伝統の風景   

Landscapes of Language and Tradition, Connected by Translation Apps. 


文化には、言葉にならない“風景”があります。   

それは、誰かの暮らしの中で自然に育まれた、日常の所作や表情、季節の移ろい。   

翻訳アプリがひとつの言語を別の言語に変えるとき、   

その“風景”は、どこまで伝わるのでしょうか。 

  

例えば、朝。   

日本の民家の軒先で、祖母がほうきを手に静かに掃除をしている風景。   

その所作の中にある「清め」や「感謝」は、   

“cleaning”や“sweeping”では置きかえられません。 

  

あるいは韓国の家庭での「キムジャン(김장)」──   

冬の前に家族総出でキムチを漬ける日。   

そこに込められているのは、保存の知恵だけではありません。   

「誰かのために時間をかける」という、手渡しの感情です。 

  

ベトナムの灯籠祭りでは、   

紙のあかりを川に浮かべながら願いごとを祈ります。   

もしそれを “a lantern festival” と訳しても、   

風にゆれる水音や、あたたかい手のひらまでは届きません。 

  

だからこそ、もう一度「翻訳アプリ」というツールを見直してみたいのです。   

このアプリが、ただ意味を変換するだけでなく、   

“見えない風景”をそっと残すような設計が出来るとしたら──   

それは、言葉を超えた文化理解の始まりになるかも知れません。 

  

Globisculus はその試みのひとつとして、   

翻訳された文章に「余白」を残したり、   

文化の背景を優しく添える様な構造を、実験的に導入しています。 

  

✍️ 語注ではなく「語感」を補う注釈 

📷 翻訳画面の背景に風景の写真や映像を重ねるUI 

🔄 翻訳前後の意味差を“感じる”ための対訳表示 など… 

  

翻訳アプリを“文化の場面を想像するための補助線”と捉えています。 
誰かの記憶の中にある風景が、あなたの心の中にも、そっと映りこんだなら──  

その風景に辿り着くのは、あなたの想像力であり、あなたの感性です。

第三章
アプリで読むアジアの文化遺伝子 

―言葉を超えて伝わる感性へ   

Reading the Cultural DNA of Asia through Apps — Toward a Sensibility Beyond Words.



「文化」と呼ばれるものの中には、何世代にも渡り受け継がれてきた「感性のパターン」があります。   

それは決して単一の民族や国のものではなく、共有された美意識、時間のとらえ方、言葉の使い方、空気のまとい方――   

そうした“文化の遺伝子”の集積と重なり合いによって形づくられています。 

  

例えば、“沈黙”には意味がある事。   

問いにすぐ答えない事が「礼」や「思慮深さ」とされる事。   

間や余白にこそ、本音が滲む事。 

  

こうした感性の設計は、欧米的な明瞭さや主張のスタイルとは大きく異なります。 

それは「曖昧」なのではなく、むしろ「曖昧さを豊かさと捉える価値観」と表現出来るでしょう。 

  

翻訳アプリで、これらを完全に伝える事は、確かに難しいです。   

しかし、翻訳アプリを活用して、自分自身が理解出来る言語で考える事で、“言葉の奥”に何かが響いてくる瞬間があります。  

それが、「文化的共鳴の原点」ではないでしょうか。 

  

Globisculusは、翻訳アプリを単なる多言語変換装置としてではなく、   

「文化の呼吸を感じる装置」として捉え直す提案をさせて頂きます。 

  

🧬 翻訳された言葉に「文脈の気配」を添える   

🪞 自分の母語と訳語を見比べ、“何が変わり、何が残ったか”を感じる対話設計  

🌏 言語同士の意味のにじみを比較しながら、文化の共通項を見いだす体験 

  

あなたの中にある静かな「わかる気がする」という共鳴。   

それは、どこか遠くの文化の“遺伝子”が、あなたの言葉をノックした証なのかもしれません。 

 

翻訳が100%正確でなくてもいい。   

その「余白」に触れることで、世界の感性とつながるきっかけを得るのです。 

 

アジアの文化を、翻訳アプリでめぐってみる。   

すると、そこにあるのは祝祭や作法だけではなく、   

暮らしの奥でゆっくり呼吸している“感性の気配”でした。 

  

翻訳アプリがつなぐのは、   

単語ではなく、誰かのまなざし。   

伝統の中に揺れていた光景や、名前のない沈黙までも、   

ほんの少し――言葉の余白に残されていたのです。 

  

やがて気づくのです。   

「翻訳される事」は、決して文化の喪失ではなく、   

新しい出会いの始まりかも知れないという事に。 

  

どこか遠いはずの国のお祭りが、何故か懐かしく感じられる瞬間。   

名もなき風習の中に、自分の記憶が揺れるとき。   

そのたびに、言葉は“知性の光”として静かに輝くのです。 

  


「翻訳アプリ」という感性装置が“市民性”や“対話の文化”をつなぐ未来へと、 

その光を、次の地図へと手渡そうとしています。 

最終章
Globisculusの思想的提案   

言葉の知性に世界が輝く 
― 翻訳アプリと感性の未来へ


  

文化と言葉をめぐる旅は、静かにひとつの円を描き、   

今、もう一度、「未来」という方向へ針を進めようとしています。   


これまでは、翻訳アプリを通してアジアの文化と出会い、   

その奥に揺れる感性や伝統、そして翻訳の余白に宿る“誰かの記憶”に触れてきました。   

 

けれどこの装置は、単なる便利なツールとしてだけでなく、   

“市民性”や“対話力”を育む学びの回路”として再構築できるのではないか。   

そうした思いが、少しずつ輪郭を帯びはじめています。   

   

世界中で、「デジタル・シティズンシップ」という教育の芽が育っています。   

翻訳アプリやAIとの対話を通して、“自ら考え、選び、つながる力”を培う。   

それは、単なる技術操作ではなく、「知性のあり方」そのものへの問いかけなのです。   

 

Globisculusは、翻訳の風景を“感性から知性へ”、そして“知性から社会へ”と渡すための、   

灯台の様な存在でありたいと願います。 

  

ここから先は、言葉の奥にある「問い」と「まなざし」について、   

そして、未来に向けてどのような“翻訳の形”を手渡せるか――   

その提案と願いをお伝えして参ります。 

Globisculusが提案する、
翻訳アプリと感性の未来   

  

翻訳とは、ただ言葉を移し替える行為ではない。   

それは異なるバックグラウンドを持つ他者の文化に「出会うための感性の作法」であり、   

その営みの先に、「世界と共に生きる知性」が芽吹くと信じています。   

Globisculusが目指すのは、翻訳アプリを感性と市民性の灯台として再設計する事。   

  

この再設計において、重視するのは、「訳しきらない部分」 

――すなわち翻訳に残された“余白”に可能性を見出す事です。   

完全な対訳を追い求めるのではなく、むしろ翻訳しきれなかった言葉の奥に、その文化特有の気配や呼吸を残しておく事。   

Globisculusは、翻訳アプリのインターフェースそのものが、そうした余韻をそっと可視化する“感性のための設計空間”になり得ると考えます。 

  

次に必要なのは、「語感」という知性です。   

同じ語を訳しても、それが発せられる文脈、使われる文化、響く身体感覚によって、意味は微妙に揺れ動きます。   

例えば「ありがとう」という言葉ひとつ取っても、日常の挨拶、深い感謝、義理の表現…語感は無数です。   

Globisculusは、翻訳アプリがこうした「意味のグラデーション」を提示し、ユーザー自身が意味を選ぶ能動的な読者=デジタル・シティズンとして関われる設計を志向します。   

これは言葉の感受性と、言葉を選ぶ責任 

――まさにデジタルシティズンシップの実践そのものです。 

  

そして、最も大切にしたいのは、“翻訳できなさ”を起点とした文化的対話です。   

どれほど高度なAI翻訳であっても、「おかげさま」「わびさび」「懐かしい」等、日本語に宿る文化的感性の深層の全てを他言語で等価に訳すことは出来ません。   

しかし、それらを“失われたもの”として諦めるのではなく、むしろ「その言葉には、あなたの言葉では何と伝えますか?」という問いを共有する出発点に出来る。   

Globisculusは、“訳す”と“問いかける”が並び立つ翻訳体験をデザインしようとしています。 

 

このように、翻訳アプリは単なる言語ツールにとどまらず、   

社会と文化に深く関わる市民的装置へと進化していく可能性を秘めています。   

特に教育や公共性の文脈においては、翻訳アプリを通じて自他の文化を尊重し、文脈を汲み取り、責任ある発信を行う――   

そんなデジタル・シティズンシップの育成と響き合う形で、翻訳の未来を捉え直すことが求められています。 

  

翻訳される言葉の数だけ、出会える文化がある。   

翻訳されない言葉の奥には、寄り添える感性がある。   

Globisculusは、言葉の知性に開かれた未来を、皆様と一緒に育てていきたいのです📖 

 

Global Communication in SNS 

翻訳アプリと“ことばの感度” 

翻訳アプリは、感性のインフラになる。 



🌱「言葉が届かない」を解決する道具ではなくて、
「言葉を届けようとするプロセス」を見せてくれる道具。
 それが、翻訳アプリという“感性のインフラ”かも知れません。

 Verbum Itineris 

 翻訳アプリの歴史 


  

🌍 このページは、日本語で書かれています。   

お手元の**翻訳アプリ**(Google翻訳、DeepL、Papagoなど)を使って、   

あなたの言葉で“翻訳の旅”をたどってみてください。   

   

翻訳とは、単なる言語変換ではなく、人と人をつなぐ技術の物語です。   

Verbum Itineris(ことばの旅路)では、1930年代の機械翻訳の萌芽から、   

ニューラル翻訳、そして共感装置としての翻訳アプリへと進化してきた軌跡を、   

感性の視点から辿っていきます。 

 

📜 Scene 1|翻訳アプリのはじまり:ルールと辞書の時代(〜1990年代) 

  

- 1930年代〜:ロシアで機械翻訳の発想が生まれる   

- 1950年代:米ソ冷戦下で、英露翻訳の試み(SYSTRAN社など)   

- 1970〜80年代:ルールベース翻訳(RbMT)が登場   

  - 文法ルールと辞書を手作業で構築   

  - 翻訳精度は限定的、主に軍事・科学用途   

- 1997年:世界初のWeb翻訳サービス「Babel Fish」登場 

 この時代の翻訳は、まるで“辞書をめくるロボット”のような存在でした。 

  

 

📡 Scene 2|翻訳アプリの普及:統計とWebの時代(2000〜2015年) 

  

- 2000年代前半:日本では「エキサイト翻訳」が広く普及   

  - 英日・日英翻訳の定番ツールとして定着   

- 2006年:Google翻訳が登場(SMT:統計的機械翻訳)   

  - 大量の翻訳データをもとに、確率的に訳文を生成   

  - 精度は向上したが、文脈の理解はまだ不十分  

この時代、翻訳は“使えるけど、信じきれない”存在でした。 

  

 

🤖 Scene 3|翻訳アプリの現在:ニューラルと感性の時代(2016年〜)  

 

- 2015年以降:ニューラル機械翻訳(NMT)が登場   

  - DeepL、Google、Microsoftなどが導入   

  - 文脈・語順・自然さが大幅に向上   

- 音声翻訳機能の進化:スマホでリアルタイム音声翻訳が可能に   

  - 50言語以上に対応、“話せる言語が一気に増える”感覚 

教育現場の変化:日本国内で生活する外国籍の子ども達が増え、“翻訳アプリが教室の共通語”になる場面も増えました。

翻訳アプリは、もはや“言葉の変換機”ではなく、“言葉の共感装置”になりつつあります。 

Let’s open the Pocket. 
Let the Dialogue Begin!!








小さな地球から、

大きな言葉が生まれる




世界と話すために、
日本語で考える。  


それは、日本人のアイデンティティを活かした、しなやかなグローバルスタイルです💛🌍 

「翻訳する」事が、あなたと世界との優しい握手になりますように 🤝 

索引

Globisculus

(グロビスクルス)
Globus(地球)+-culus(小さな)→「小さな地球」=ポケットの中の世界

Global Dialogue in Your Pocket

(ポケットの中の小さな地球で、対話が始まる) 


Verbum Itineris 

 (ヴェルブム・イティネリス) 
Verbum(言葉)+Itineris(旅)
→ 言葉が旅してきた歴史 ・ 翻訳アプリの旅路